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「ゆとりーマン戦力化計画」PART-6

2013-06-14

-----日本の将来を明るくしたい組織人事コンサルタントの提言-----

  今回は、ゆとり?マン世代に対する「コミュニケーション戦略」についてお話したいと思います。

  戦略を立てるために、まずは、彼らのコミュニケーションの特性について考えてみましょう。

  今回は、ゆとり?マン世代に対する「コミュニケーション戦略」についてお話したいと思います。

  戦略を立てるために、まずは、彼らのコミュニケーションの特性について考えてみましょう。

  前回、ゆとり?マン世代が「目標を達成する=成果を上げるために行動出来る様になる」ための「ルール化」のステップのひとつとして、「個人」に「成果」を求めるのではなく、「組=小さな集団」に「成果」を求めるという方法が有効だと指摘しました。

  これは言い換えると、「個性重視」の教育を受けたはずの彼らが、逆説的ではありますが、実は、「個人」としての「責任を取らされること」への抵抗感を持っているということを示しています。こうした傾向は、彼らのコミュニケーションの特性にも大きな影響を与えています。

  彼らの発言を少し注意深く聞いていただくと、彼らの話には、「私が」「自分が」という「主語」が欠落しているケースが多いということに気づかれるかと思います。そう、彼らは、「個人」としての自分の主張を責任もって発言することに抵抗を感じているのです。

  だから、何か質問や相談をされたときに、自律を促すために、「で、君はどう思うの?」と問いかけをしても通用しません。

  黙りこんでしまう、気まずそうにその場を逃げ出す、あるいは、「思いつかないから聞いているんですけど!」と逆ギレしてしまう、「あの上司は何も教えてくれない、相談に乗ってくれない」と批判する・・・・・・そういう経験をされた方も少なくないはずです。

  こうした傾向は、ゆとり教育が、「個」としての成果を競うことではなく、「チーム」として動くことを重視することに軸足を置いていたからでしょう。運動会の徒競走のような個人種目で優劣をつけないというのが、もっとも象徴的な例でしょう。

  課題や宿題でもグループワーク形式を多用した、というのも、こうした彼らのコミュニケーション特性を形作る要因になっています。もちろん、グループワーク自体は、「組織」という集団で生きていくためのエッセンス、たとえばチームワークを学ぶという意味で有効なものです。問題は、彼らが、グループワークの正しいやり方を示されないままに、「みんなで頑張りましょうね」とのみ言われて放り出されたこと。

  グループ=集団で何かを成し遂げるためには、本来、そこに属する「個」がそれぞれに自らの主張し、時にぶつかりあい、時に妥協しながら、それぞれの強みをひとつの方向に束ねていくことが求められます。

  彼らは、その重要性も、そうできるためのヒントや手法も、教えられていないのです。だから、彼らは、グループのなかで「発言」はするけれど、その「発言」によって、グループを動かしていこうという「主張」はしないのです。何か意見があっても押し通すことはなく、周囲の意見に反論することもほとんどありません。

  バラバラと発言し、そうした中でなんとなく形成された「多数派」の意見にまぎれていれば、安心するのです。

  このように、「個人」として物事に対峙するということを避けて育てられた彼らは、「個人として責任をもって主張をする」ことに抵抗感があるであると同時に、「一対一」、特に、上下関係のある人との「一対一」のコミュニケーションがきわめて苦手です。

  最近、こうした世代が選ぶ「理想の上司」の第一位にニュース解説でおなじみの池上彰さんが選ばれていました。

  池上さんは、素晴らしいプレゼンテーション能力の持ち主ですし、その著作を読ませていただきますと、分析力にも長けた方であり、その能力、人間性などが高く評価されていること自体には異論はありません。

  しかし、少なくともメディアに露出している彼の一般的イメージの範疇において、「上司と部下」のように、「一対一」で、彼より未熟ではあるけれど大人としての主張をもった人物と対峙するというようなシーンはあまり想像できないのではないでしょうか。

  すなわち、いゆわる「ヒナ壇芸人」を相手に「一対多」のコミュニケーションをしている彼の姿を、ゆとり?マン世代は、「理想の上司」として見ているのだと思います。

  それは、言い換えれば、ゆとり?マンたちが「ヒナ壇芸人の一人」として扱われたい、「個」ではなく、「グループの中の一人」として扱われたいと思っている、ひとつの証左でもあるようにも思えるのです。

  さて、もうひとつ、別の観点から彼らのコミュニケーションの特性を指摘しておきましょう。彼らの会話に頻出する言葉のひとつに、「ビミョ?=微妙」というのがあります。

  もし、あなたが、何が「微妙」で、どう「微妙」なのか、そう問いかけると、あなたは、彼らに、「空気読めない=KY」というレッテルで見られてしまうでしょう。そう、「空気読めない」も含め、「ガラじゃない」「そんな感じ」「ちょっと違う感じ」・・・・・・・・彼らは、非常に感覚的に自己を表現し、他者を評価し、現状を規定します。

  こうした傾向は、おそらく、彼らが、「個性」を一切論理的に規程することをしないに「個性重視」という空疎なお題目のもとに教育されてきたからだと思われます。

  もっと端的に言うならば、彼らは、ある意味、明確で客観的な「成績」ではなく、「自分らしさ」といった曖昧な指標のほうが大事だという風潮の中で学校生活を送ったからだと言ってもいいと思います。「成績」は、本来、「個性」の一部分を形成する「能力」(現時点での)の、そのまた一部分を示す客観的指標のはずです。

  こうした、ごく基本的な構造を理解させずに、「成績よりも自分らしさが大切」というような、曖昧さをそのままにする安易な言説の元で育った彼らは、「曖昧なことはいいことなのだ」と感じていると言ってもいいでしょう。少し乱暴かもしれませんが、「成績」は、そのまま、仕事での「成果」にも言い換えてもいいでしょう。たとえば、成果が上がっていないことに対して問い詰めればこんな風な言い訳をするシーンに出くわすのです。

  「○○課長が、この前、やれ、といったこと、自分的には、ちょっと違うなぁ?と思っていたんですけど、やれと言われたので、一応、自分なりにはやってみたんですけど、途中で、なんかビミョ?っていうか。でも、まあ、やるだけやったんで、仕方ないッスよね」

  何がどう「自分的には違う」のか、「自分的」とは、どんな判断基準なのか、「自分なり」とは、どの程度やったのか、「ビミョ?な」のは、どの部分か・・・・・・さっぱり、わかりません。

  追求しても、ほぼ100%答えられず、追い詰めると逆ギレする・・・・・厄介です。

  次回は、こうした彼らの厄介なコミュニケーション特性を踏まえたうえで、彼らに指示を出す際のコミュニケーション手法について述べたいと思います。

PART-7に続く---->


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